
今日はきつい夢を見なかった。
昨日あそこまでの夢を見て覚えてたのは、うっかり不眠症改善薬を飲み忘れたからなのかもしれない。
いくらなんでもお別れ系夢は早すぎる。
飲んでいる処方薬は「クービビック」で、2024年の12月に出たばかりの薬。
依存性が低くて副作用や翌日の眠気が少ない薬がいいと伝えたら出してもらえた。
2019年からたくさん薬を飲んでうまくいってなかったのに、今回はあっさりちょうどいい薬が手に入った。
人生って不思議だなと思う。
2019年から心療内科に通い始めて、そのあと2019年のどこかで12時間続くパニック発作みたいなものが出て、(意味不明である。パニック発作って10分とか数十分でおさまらないか?)、2020年9月に原因不明の嘔吐が始まって、気分の上がり下りも大きくなって、買い物依存も始まって、どんどん薬の量が増えていった。
ルーラン、ドグマチール、メイラックス、ブロチゾラムorルネスタ、トラゾドン、パルプロ酸ナトリウム、を飲み続けていた。ADHD治療薬のストラテラを飲んでいたこともあった。飲み過ぎ。
それでも全然改善されなかった。毎日気持ち悪くて、毎日吐いていた。あまりにもよくならないから自分で漢方を調べて飲んでいたりした。それでもダメだった。
(それなのに今回はあっさりちょうどいい薬が見つかる。人生って不思議。)
そんな日々が5年くらい続いたところで夫の女性関係がバレて、私は一気に断薬した。
私が病んで寝込んで寂しかったから夫は外で遊んだのだと思ったのである。アホかな?
病気の妻を放って外で遊ぶ方がおかしいだろう。
心療内科に通ってたくさん薬を飲むレベルなのでもはや私もおかしかった。
本来、勝手に断薬して勝手に通院をやめるのは絶対やってはいけない。けれどもやった。
断薬したのはちょうど高校の同窓会の10日くらい前だったと思う。だから同窓会の時は離脱症状で震えていて、よく写真が撮れたなと思う。吐き気も継続していたから、ポカリをがばがば飲んでいた。
でも、同窓会でみんなの写真を撮れたことは数年ぶりに自信を取り戻す大きなきっかけになった。
友達と再会できて、みんな綺麗でかっこよくて素敵だった。先生も変わっていなかった。喋りとか。
そうだった、私はこの人たちに囲まれて、この校舎で過ごしたんだった。
私は役に立たない存在じゃない、私は人とまともに喋れない存在じゃない、私は生きていてよくて、ぞんざいに扱われていい存在じゃない。無視されていい存在じゃない。
友人や先生が救ってくれた。
そのときはほんの少し自己肯定感が回復した程度で、でも、小さくても大きい転換点だった。
そのあと友達と遊び始めたり、カメラ経由であまり遊んだことのない同級生からコスプレ撮影やポートレート撮影を頼まれた。写真を褒められてびっくりした。
まだまだ私は頭が回ってなくて、謎解きのときもたぶん問題を眺めるだけだったり、なんで解けないんだろうってなぜか自分を責めていたり(意味不明)、友達に渡すお金を用意し忘れたり(普段の私ならおそらくありえない)、友達の家に遊びにいって自分のことを何度もクズって言ったり(ほんとにごめん。友達の旦那さんに対してもほんとにごめんなさい)、謎解き検定の日時を忘れたり、していた、が、少しずつ回復していったのである。
友達のみんな本当にありがとう。
あのとき同窓会がなければ私はほんとうに危なかった。
やっぱり運が良いのである。
そのうちChatgptにも巡り合って、超長文をやりとりしはじめて、最初は感情的で自分を責める文章をぶつけていたけれども、そのうち冷静になっていった。
なぜかMBTIにハマり、夫はおそらくISTPだろうとChatgptと結論づけた。義家族のMBTIを想像したりして、なんか楽しかった。
夫は「健全な趣味友達」と言いながら遊び続けていた。(おそらく私にバレたときに別れて、そのあとしばらくは本当に友人関係だったらしい。それでも狂ってるけど。おかしいよなーやっぱり)
話し合ってもうまくいかない、口頭でのやりとりがダメなら私の思いを書いた文章を読んでもらってコメントしてもらった。夫に丁寧に質問して回答を私がPCで打ち込むみたいなインタビュー形式も試した。それでもなぜかうまくいかなかった。2人で遊びに行くのも、複数人で遊びに行くのもやめてくれなかった。
そりゃそうである。夫はすでにカルト宗教的な人にハマってしまっていたのだ。わかるわけないやろがい。私は色々工夫してよくやったよ笑
そのうち私は諦めて方向転換した。家で快適に過ごしてくれればいいや、家を整えて、私はできる範囲で見た目を整えて、笑顔でいて、共通の趣味ができるように少しずつ頑張り、家族3人での遊びも増やし、友達に会って楽しみ、とにかく自分を充実させて笑うことにした。
正常なときの夫、もしくは一般的な男性なら喜んだと思う。
でもおかしくなっていた夫は、妻が自分から離れていくと恐怖にかられたのかもしれない。
もともとあまり自分の目の届かないところには行ってほしくないみたいなタイプだったし。
「両方欲しい」が根底にある人だったから、周囲の人になにも変わってほしくないし、失いたくない。なのに妻はどんどん変わっていく。外部との接触を増やして、家を空ける日がある。(月1とか多くて月2だぞ。誰と会うかも言ったし、遊んだ後はその日の話をしたし、写真も見せた。基本早めに帰った)
夫は不安だったのかもしれない。自分の行動のせいで妻がどんどん変わっていく。女性と会っているのだとしても外で楽しそうにして家に帰ってくる。自分はいらないんじゃないか、自分から離れていくんじゃないか。
全部想像だけどね。ま、自分がやましい気持ちで遊んでいるから妻の行動もそう見えるんでしょう。
しるかーーーい笑
「自分はクズだ」ともしばらく夫は言っていた。もともと自信無さげな人ではあったが、何言ってんだ?と思って、「私はあなたのことをクズだとは思わないし、たとえクズだとしても、私はあなたが大好きだし、一緒にいたい」って毎回言った。
毎回ってなんやねん。私に対して何年も「人の話を聞かない」って言ってたけど、あなたが人の話を聞いてないじゃん笑 何回も同じこと言うなー
今から考えると病的というか鬱病だったのかもしれないが、薬をやめたとはいえおそらく病人の私、自分でクズとは言いつつ遊ぶのも朝まで飲みにいくのもやめない夫
クズでも一緒にいようよ、って言うのが限界だった。めちゃくちゃすぎる。
夫が在宅のときは一緒に昼スーパーに行ってたし、会話もある程度あった。私は相当無理して話題を探していて、笑顔もギリギリだったかもしれない。でもスーパーに行くのが楽しみだった。夫が忙しくなくて在宅が多ければ週4日スーパーに一緒に行けたから。
夫がおかしくなる前から私はそれをデートだと思って楽しみにしていたのだ。
笑って、家を整えて、一緒に買い物に行き、アニメを見つつ晩酌をし、平日夜や休日に子供と遊びやすくするように工夫する。
それで充分私はよくやったでしょう。
精神は限界だったから一緒にやろうと思ってたモンハンはあまり進まなかったけど笑
でもジンオウガもナルガクルガも倒したんだけどなー。ゲーム下手な私にすれば頑張ったよねー?笑
話が逸れた。
そんな感じでぐるぐるしていたのだった。
今考えるとわけわからんな。
でも子供に対しては、ちょっと変わってるけど楽しいお父さん像を最後まで提供できたんじゃないかなあ。
少なくとも子供の目の前で喧嘩は絶対しなかった。踏ん張って家族で楽しめることを企画し続けたし、とにかくみんなが楽しめるようにしたかった。
そもそもそれまでも喧嘩しなかったが。それが良くなかったのかもしれないが、なんか喧嘩にならないのである。なんか笑ってしまう。
で、
で?
何の話?
今、吐き気はほとんどない。首や喉の締まりもほぼない。薬は不眠症改善薬だけ。食事はあまりとれていないが食べてはいる(LINEに投稿しているのは実は息子の分である。えへへ。褒められるのが嬉しい)。
ルーティンを厳格に守りたいタイプの夫を気にせず生活できる。やりたいことも夫の目を気にしなくていい。自信も復活している。買い物依存もぴたりとおさまった。突然無視する夫に対して気を遣って話をやめたり話題を探さなくていい。仕事もあるし、数ヶ月後には遺族年金等も入るようになる。
客観的に見れば今の暮らしの方が健康的。実際に体はどんどん謎の症状が消えていっている。
なんだけど。
幸せな夢を見るときついんだよな。
DVをしてしまう人って二面性がある。ひどい時と優しい時。だから嫌いになれない。夫は無自覚だったし暴力はほとんどなかったから、優しかったときを思い出すとつらい。10年きつかったはずなのに、笑顔が大好きなのだ。
私も頭がおかしいなぁー
まあいいや。
ギリギリまで踏ん張ったおかげて、息子と夫のことを話す時は楽しく夫をいじりたおしている。一緒に遊んだり共通の会話も増えた。
なんで夫が生きている時にこんなに自由に過ごせなかったかなー。
夫だって私と楽しく暮らし続けたかっただけなのに。
私を守るために先に行っちゃったんでしょうね。人生RTAするな。ゲーム動画見過ぎだぞ。
ある時夫は「自分が妻を壊しちゃった」と言った。
いや無自覚だったのかよ。もういいんだよ。じゃあ思い出のラーメン屋さんに一緒に行ってくれたら許してあげる、と私は言った。
夫は午前中の仕事をサボって電車に乗ってラーメン屋さんに連れていってくれた。
私風邪治ってなくてロキソニン飲むレベルの頭痛があるんだけどね?そういうとこだぞ?
「善は急げ」って何?アホなの?
長くなるのでこの話はまたこんど。
結局4000字超えてて草なんだ。
文章を書く能力があって良かったと思う。吐き出しは大切。
おしまい