
明日は朝から隣の隣の県の心療内科に行くので、今夜のうちに書いておく。
中学時代にフルーツバスケットという漫画が学校で流行った。
私はその中で主人公の後悔が心に残った。
主人公の本田透は、母親が亡くなった日にいってらっしゃいのお見送りができなかった。
それがなぜか忘れられなくなった。
それからの私は、色んな人に感謝も、嬉しいみたいなポジティブな感情も、その服とっても似合ってるね、みたいな言葉も、その時その場で出来るだけ言うようになった。
本田透の気持ちを想像するとあまりにつらかったし、私はそういう後悔をしたくなかった。
ちょっと強迫的に棘として残ったのかもしれない。
大事な人を亡くした人の後悔は、もっと愛情を伝えればよかった、が多いような気がする。
そこに関して私はあんまり後悔していない。
全く後悔していないと言えば嘘になるけど、たぶんだいぶ私は伝えた。
精神的にぎりぎりだったけれど、「あなたのたれ目が好き、笑った時にできる口の横のしわが好き」、と、離れ離れになる少し前に言ったのだ。直前だったかな。
なんでフルバの一場面が心に残ったのかはわからない。別にその時は誰かを失ったわけでもなかった。
でもなんとなくわかってたのかもね。
漫画のおかげで私はたくさんの気持ちを伝えられた。
とても感謝している。
友人たちから、読ませる文を書くなぁと思ったとか、ブログ助かる、って言ってもらえた。
めちゃくちゃ嬉しい。
私は小さい頃から文章を書くのが好きだったけど、小説はあまり向いていなかったし、評論を書くほどの専門性もなかった。
文は書きたいけど書けるジャンルがない。
今回こういうことがあって、たまたま言葉が止まらないタイプで、ショック状態なのか恥ずかしさがちょっと麻痺していて笑、日々つらつらと夫と私のことを書いている。
それを褒められたのがとても嬉しい。
私は自分の文を褒められるのがとても嬉しい。
人生でトップテンに入るくらい嬉しいかもしれない笑
褒めてくれてありがとう。そう感じたのを伝えてくれてありがとう。
悲嘆(グリーフ)というのは人によって本当に表れ方が違うらしい。
私はたまたま喋りまくり書きまくりタイプだった。
吐き出しをしやすい人ほど回復の土台が早くできやすいらしいし、長期的に見ても自己破壊的な行動に走りにくいというデータもあるらしい。
らしいばっかりだけど笑
脳科学的には、感情を言葉に変えると、脳の「扁桃体(感情の洪水を起こすところ)」が落ち着いて、「前頭前野(理性や判断の部分)」が働き出す。
つまり、感情を「処理できる状態」に変えている。
らしい笑
こんなところまで強くて本当に憎たらしいなあ笑
生き物として強いんだろうなあ。
いつもありがとねー。
あまりに強いと、夫がいなくても平気で生きていけるみたいで嫌だ。
夫がいなくなると何もできなくなってひたすら泣いているような感じでいたかった。
まるでそれが夫を愛している証明みたいで。
そうじゃないんだけどね。
私が崩れたら、あんなに穏やかで和やかでひまわりがいっぱいの素敵なお葬式は出来なかった。
私が崩れたら、子供はいま笑っていなかったかもしれない。
私が崩れたら、朝起きた時に遺影に向かって笑っておはようって言えていないだろう。
これでいいのだ。
夫は、生まれてすぐに髄膜炎で命が消えそうになって、おそらくそれとは関係なく生まれつきの特性を持ち、歪な生育環境で心に大きな穴が空いた。
異常なほど強い私と、脆くさせられた夫。
ちょうどよかったよねー。
私はまだまだ強いので、粘り強さを発揮してずーっとあなたの妻でいますよ。死後離婚もしないし、冥婚の文化もないし。
あなたもう他の人と結婚できないからね?笑
あー、三十三回忌が弔い上げなのか。私67かあ。66かな?最低限そこまで生きないとねえ。
せっかく早めに結婚したのになー。金婚式したかったなー。結婚式してないんだけどさぁ。
長生きするから迎えに来てねー。
やれやれ。
とってもしょうがなくて、とってもかわいい人でしたよ。今もね。
おしまい
追記
写真はベランダから撮ったもの。
夫が買ってくれたこの家からの眺めが好きだ。
洗濯物を干すのも洗濯物を取り込むのも幸せだよ。